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エーネ・パウラス エーネ・パウラス エーネ・パウラス


名称 聖愛乳児園 (乳児院)


   所    千葉県いすみ市岬町三門1483-5
   敷    1,688.35u
   建 物 鉄 筋    コンクリート造 2階建て
   延    758.81u
   事 業  主体    社会福祉法人チルドレンス・パラダイス
   事 業 種 類    「児童福祉法」による乳児院
   定    15名
  hause   hause

沿    革


昭和24年



法人創設者 ルーテル教会宣教師 ミス・エーネ・パウラス女史は、2〜3歳未満の乳児を対象とする矢切乳児園を、千葉県松戸市中矢切に創立し、同じく、昭和24年に乳児院は認可を受け発足。
昭和40年


市川市国府台に新築の本館が完成し、移転する。施設名は「国府台聖愛乳児園」となる。千葉県松戸市中矢切に創立し、同じく、昭和24年に乳児院は認可を受け発足。
平成13年

いすみ市岬町の現在地に新築移転、国府台聖愛乳児園の名称から国府台を取り「聖愛乳児園」となる。

法人の創設者 エーネ・パウラス女史


法人の創設者エーネ・パウラス女史は、明治24年2月25日、米国ノースカロライナ州で、9人兄弟の6番目として貧しい農家に生まれた。父親はエーネ・パウラスが8歳の時病没し、信仰深い母親の手で育てられ、幼いころより人のために働くことを教えられた。コロンビア大学に進み、乳児学、心理学、社会事業等を先行し、「家庭主義の子どもホーム」の理論を学んだ後、大正8年、26歳の若さで来日した。

大正9年〜11年 宣教師として佐賀県小城町のルーテル教会に赴任
大正11年〜15年


熊本市の慈愛園で、姉のモード・パウラスに協力し乳児院、養護施設の拡充に尽力し日本で社会福祉事業の基礎を学ぶ
昭和2〜16年

日本福音ルーテル教会から、東京本所柳原町にあるベタニアホームの責任者を命ぜられる。
昭和 16年
戦争の余波を受け、止む無く米本国へ帰国せざるを得なかった。
昭和 22年
一年分の食料を用意して、無事日本に着いた。
昭和 24年


財団法人有隣学園を継承し、感化院より養護施設有隣学園へ切り替え、社会福祉法人有隣学園の理事長に就任
昭和 24年 松戸市上矢切に子羊保育園を設立。
昭和 25年 松戸市矢切に乳児預り所「矢切乳児院」を設置。
昭和 27年

松戸市稔台に農村児童を対象とした稔台保育園を開設。
昭和 27年



5月に、これ等4施設を総括して、社会福祉法人チルドレンス・パラダイスとして法人認可を取り、養護施設有隣学園もその名を子山ホームと改め、エーネ・パウラスが理事長として経営責任にあたった。
昭和 36年



4月、エーネ・パウラスは宣教師としての定年(70歳)となり日本における40年の働きに終止符を打ち、故国 米国ノースカロライナ州クリーブランドへ帰国した。
昭和 53年


9月、女史は天に召されましたが、偉大な業績と創立の主旨と伝統は乳児園に今も立派に輝き、受け継がれています。
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